尚家に伝わる刀 千代金丸(ちよがねまる)


北山城(今帰仁城)を攻めた時


千代金丸(ちよがねまる)
琉球王国王家 尚家に伝わる刀。伝説では、尚巴志が北山城(今帰仁城)を攻めた時、北山王攀安知がこの刀で城内霊石を切り、返す刃で自ら首をはねたという。

尚家が代々継承した


国の文化審議会文化財分科会は17日、尚家が代々継承した美術工芸品や古文書など計1251点の「琉球国王尚家関係資料」(那覇市所有)を国宝(歴史資料)に指定するよう小坂憲次文部科学相に答申した。戦前には首里城、円覚寺などが国宝として指定されていたが、戦後の文化財保護法(1950年制定)の下での県内からの国宝指定は初めて。 指定される資料の内訳は工芸品85点と文書・記録類1166点。那覇市市民文化部歴史資料室が保管している。 工芸品は琉球国王が中国皇帝から冊封を受ける時に与えられた「玉冠」や鮮やかな色の「唐御衣装」、1416年に尚巴志に攻め滅ぼされた最後の北山王「攀安知(はんあんち)」が所有していた「千代金丸」(刀剣)など、いずれも貴重な資料。 紅型、織物はいずれも染織技術では最高水準のもので、洗練された文様や鮮やかな色彩が当時の王家をしのばせる。工芸品は2002年6月に「琉球王尚家伝来品」として重要文化財(重文)に指定された。 尚家文書・記録類は、ほとんどが清朝の道光年間(1821―1850年)以降のもの。法制関係、薩摩藩関係、対中国関係、異国船関係と広範囲に及ぶ。独自の国家体制を形成した琉球王国の歴史的な位置付けを反映し、東アジアにおける政治・外交史上も貴重な内容となっているとともに、近代国家への脱皮を図る明治政府との葛藤(かっとう)を示す文書も多数含む。琉球史だけでなく、日本・中国との関係史や日本の近代史を知る上でも第一級の貴重な資料群と位置付けられている。 尚家文書のうち、県内保管分は沖縄戦時にほとんどが焼失、東京にあった分も空襲に遭ったが、保管していた土蔵が戦禍を免れた。現存する尚家文書や記録類は大半が原本で、冠船渡来の際、踊奉行を務めた小禄按司の日記や、冊封使に披露した組踊などの冠船芸能についても記録されている。

守り神のところへ


激怒したハンアンチ王は、自慢の名刀千代金丸で本部平原を切り倒し、守り神のところへ走っていきました。「自分を守ってくれなかったな!」と、腹いせにご神体の石に切りつけ、その刀で切腹しようとしました。しかし、刀が切れなかったので、志慶真川に投げ捨てて、腰の小刀で切腹しました。 後にこの刀、名刀千代金丸は志慶真川から拾われて、首里城の王様に献上されました。
15〜16世紀の琉球は中国や東南アジアに大量の日本刀を輸出していました。日本刀は中国陶磁器とともに東南アジアへもたらされましたが、これらの日本刀は琉球が日本から入手したものとみられています。外交文書集『歴代宝案』では、多種多様の刀剣類が輸出されていたことを確認できます。なお現存する琉球の刀剣「千代金丸」や「治金丸」は刀身が日本製、外装は琉球製であると鑑定されています。おそらく輸出された日本刀は琉球風にアレンジされたものではないでしょうか。
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